hollow ataraxia の攻略で詰まっているそこの君!風雲イリヤ城はクリアしただろうか!?
はい。今回はタイトルが全てです。
数年前にクリアしたゲームの話なのですが、そういえばあの時ヘンなところで引っ掛かって大変な目に遭ったなあ、と唐突に思い出したので書いてみました。
ゲーム自体は随分前に発売したものだし、今さら初見でプレイしている人もいないと思います。
加えて言うなら、自分みたいな詰まりかたをする人もそうそう居るとは思えないのですが、それでも、もしこの令和の時代にそんな人がいたのなら、私はこのタイトルの言葉を贈りたいのです。
Twitterだと一瞬で流れていってしまいますしね。
ブログならあるいは、検索で引っ掛かることもあるかも、などと。
そう、このゲーム、基本的にはマップに出現したイベントを片端からこなしていけばクリア出来るものなんですけど、どうしても特定の進行度に達するとそこから進めなくなるトラブルがあったんです。
(実際には、ゲームそのものの不具合ではなく、自分の思い込みのせいだったのですが…)
そのトラブルの原因が風雲イリヤ城、途中で挟まるミニゲームです。
このミニゲームのクリアが本編の進行に関わるトリガーだったのですが、自分はこれを重要ではないおまけ要素と思い込んでいたのです。
そのため、もうこのミニゲームを遊ぶ以外に操作のしようがない状況だったのにも関わらず、どうして進まないのか分からないという思考回路に陥っていました。
分からなすぎて、履修済みの友人に相談してみたり、舐めるように攻略サイトを眺めたり、果ては、当時PC版をプレイしていたのですがソフトの不具合を疑ってわざわざ PSvita 版を買ってプレイし直したりしていました。
いやあ、思い込みって恐ろしいですねぇ。
まあ、PC版と PSvita 版ではムービーが一部変わっていますので、それが見られたのは良かった…かな?
そういうことにしておきましょう。
hollow ataraxia の攻略で詰まっているそこの君!風雲イリヤ城はクリアしただろうか!?
はい。今回はタイトルが全てです。
数年前にクリアしたゲームの話なのですが、そういえばあの時ヘンなところで引っ掛かって大変な目に遭ったなあ、と唐突に思い出したので書いてみました。
ゲーム自体は随分前に発売したものだし、今さら初見でプレイしている人もいないと思います。
加えて言うなら、自分みたいな詰まりかたをする人もそうそう居るとは思えないのですが、それでも、もしこの令和の時代にそんな人がいたのなら、私はこのタイトルの言葉を贈りたいのです。
Twitterだと一瞬で流れていってしまいますしね。
ブログならあるいは、検索で引っ掛かることもあるかも、などと。
そう、このゲーム、基本的にはマップに出現したイベントを片端からこなしていけばクリア出来るものなんですけど、どうしても特定の進行度に達するとそこから進めなくなるトラブルがあったんです。
(実際には、ゲームそのものの不具合ではなく、自分の思い込みのせいだったのですが…)
そのトラブルの原因が風雲イリヤ城、途中で挟まるミニゲームです。
このミニゲームのクリアが本編の進行に関わるトリガーだったのですが、自分はこれを重要ではないおまけ要素と思い込んでいたのです。
そのため、もうこのミニゲームを遊ぶ以外に操作のしようがない状況だったのにも関わらず、どうして進まないのか分からないという思考回路に陥っていました。
分からなすぎて、履修済みの友人に相談してみたり、舐めるように攻略サイトを眺めたり、果ては、当時PC版をプレイしていたのですがソフトの不具合を疑ってわざわざ PSvita 版を買ってプレイし直したりしていました。
いやあ、思い込みって恐ろしいですねぇ。
まあ、PC版と PSvita 版ではムービーが一部変わっていますので、それが見られたのは良かった…かな?
そういうことにしておきましょう。
読書感想/百年の孤独
マジックリアリズムという言葉とセットで語られることが多い『百年の孤独』。
しばしば目にするタイトルで以前より気になっていた本なのですが、ようやく機会を得て読むことが出来ました。
そもそも、マジックリアリズムってどういう意味なんでしょうね。
「文学や美術で、神話や幻想などの非日常・非現実的なできごとを緻密なリアリズムで表現する技法。魔術的リアリズム。」
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-1813925
分かったような分からないような。
いや、正直全然ピンと来ません。
日常みたいな顔をして非日常がしれっと紛れている作風?というのが、読む前の理解でした。
実際に『百年の孤独』を読んでみて、あ、マジックリアリズムってこういうことなのかな、と思った点があったのでちょっと書いてみたいと思います。
気になったのは、ホセ・アルカディオ・セグンドがバナナ会社の労務者をまとめ上げてストライキを起こすエピソード。
ストが武力により制圧され、銃殺された参加者達の死体がごみのように捨てられる一方で、会社の重役も政府の人間も、権力を持つものは上手いこと立ち回って惨事などなかったかのように振る舞う様が、とても不気味で印象的でした。
というのも、亡くなった参加者の家族でさえも、そのような虐殺は無かったと語るし、ストのあった駅前には「虐殺の痕跡は何ひとつなかった」のです。
誰の目からも隠されたスト参加者の死。ホセ・アルカディオ・セグンドの言によれば三千人はいたという参加者の死を、村の誰も知らないなんてことはあまりにも非現実的じゃないですか。
それにも関わらず、この顛末には荒唐無稽というよりは憂鬱な感情を抱きました。
地位の無い人間ばかりが割りを食うことへの口惜しさと無力感。
そして、権力ってものが一般の人間からすると見ることも触れることもできず、結果だけがそこに有るっていう実感がやけに生々しく感じられたんです。
それで思ったんですけど、読者にこういった感覚を伝えるためには必ずしも現実的な描写は必要なくって、表現は非現実的でも、最終的に受け手に与える印象に現実味があればいい。
例えが適切かは分からないんですけど、普段の人間関係においても、嬉しいという気持ちを表現するために相手にとって分かりやすい「喜びの表情」をつくる時、あるじゃないですか。
それと似たような、本音を伝えるための虚構みたいなのが、マジックリアリズムってことなのかなと思いました。
名付けに時間のかかる人
Twitterはもうダメだ!ブログを書こう!
と思い立ち、はてなに登録してはや数ヶ月。
最初に付けたはてなIDがどうにも納まりが悪く、取得し直しました。
名前なんて使っていくうちに馴染むものだと思いますし、そんなところを捏ねくり回すくらいなら記事を書け。
そうは思ってもやはり、ログインする度に目に入るものなら少しでも気分の良いものにしたいものです。形から入る人間なので。
心理的なハードルを可能な限り引き下げておくのは物事を継続させるために必要不可欠。
自分のように怠惰な人間のやる気なんて、一枚のティッシュペーパーよりも役に立たないことはいい加減身に染みています。
大事なのは頑張る気持ちではなく着手しやすい環境と雰囲気。
そういえば、ここ最近でもなんとか続いているものといえば、導入時に場所や性能を吟味しまくったルームランナーくらいなものです。
その前にやっていたスクワットは、自分のやる気に依存し過ぎるので結局やらなくなってしまいましたね。習慣化は難しい。
半年後の自分から、「中身も無いのに入れ物ばっかり整えて恥ずかしい奴め」と小馬鹿にされないことを祈っています。
祈るよりも文字を書け。