読書感想/百年の孤独

マジックリアリズムという言葉とセットで語られることが多い『百年の孤独』。
しばしば目にするタイトルで以前より気になっていた本なのですが、ようやく機会を得て読むことが出来ました。

そもそも、マジックリアリズムってどういう意味なんでしょうね。

「文学や美術で、神話や幻想などの非日常・非現実的なできごとを緻密なリアリズムで表現する技法。魔術的リアリズム。」
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-1813925

分かったような分からないような。
いや、正直全然ピンと来ません。
日常みたいな顔をして非日常がしれっと紛れている作風?というのが、読む前の理解でした。
実際に『百年の孤独』を読んでみて、あ、マジックリアリズムってこういうことなのかな、と思った点があったのでちょっと書いてみたいと思います。


気になったのは、ホセ・アルカディオ・セグンドがバナナ会社の労務者をまとめ上げてストライキを起こすエピソード。
ストが武力により制圧され、銃殺された参加者達の死体がごみのように捨てられる一方で、会社の重役も政府の人間も、権力を持つものは上手いこと立ち回って惨事などなかったかのように振る舞う様が、とても不気味で印象的でした。

というのも、亡くなった参加者の家族でさえも、そのような虐殺は無かったと語るし、ストのあった駅前には「虐殺の痕跡は何ひとつなかった」のです。

誰の目からも隠されたスト参加者の死。ホセ・アルカディオ・セグンドの言によれば三千人はいたという参加者の死を、村の誰も知らないなんてことはあまりにも非現実的じゃないですか。
それにも関わらず、この顛末には荒唐無稽というよりは憂鬱な感情を抱きました。
地位の無い人間ばかりが割りを食うことへの口惜しさと無力感。
そして、権力ってものが一般の人間からすると見ることも触れることもできず、結果だけがそこに有るっていう実感がやけに生々しく感じられたんです。

それで思ったんですけど、読者にこういった感覚を伝えるためには必ずしも現実的な描写は必要なくって、表現は非現実的でも、最終的に受け手に与える印象に現実味があればいい。
例えが適切かは分からないんですけど、普段の人間関係においても、嬉しいという気持ちを表現するために相手にとって分かりやすい「喜びの表情」をつくる時、あるじゃないですか。
それと似たような、本音を伝えるための虚構みたいなのが、マジックリアリズムってことなのかなと思いました。